これは部屋でぼくの敬愛する作家、須藤元気さんの処女作
「風の谷のあの人と結婚する方法」を何気なく読んでいたときに聴こえた精霊のささやきである
※1 人は自分が一番重要、大切だと思うことを最優先する!
これはどういった意味かというと
一番大切ではないと判断した場合、犯罪でも犯してしまう可能性が含まれているということだ。
犯罪という表現は極論であるが、理屈的にはそうなる。
それはなぜか?
一番重要なものを最優先する以上、それ以外が犯罪であろうとなかろうと、その人にとってはそれが優先する行動指針ではなくなるからである。
ようするにそれは二の次でいい、といった状態になる。
もっと言えば無駄なことなのである。
僕は無駄なものをできるだけ排除し、重要なことだけ行なっていればそれに越したことなく、
それがベストだと考えていた。
まさに合理主義者である。
合理主義においては物事が効率的に進むし、それで人類は発達・進歩し、社会は発展してきたのだからすばらしい。
しかし、これを上記※1の「人は自分が一番重要、大切だと思うことを最優先する」に当てはめてみると、
物事をより効率的に行なおうとする人はまぎれもない合理主義者なのであって、そういった人にとっては善悪の判断よりも、合理的か・否か?という判断基準が最も重要になってくる。
そのため、合理的で効率的であるならば、犯罪くらい...。という考えになってしいがちになる。
犯罪=悪であるか?という疑問はここでは少し置いておいて。
合理主義とは善悪の判断を行なうためにあるものではなく、物事を効率的に生産するために必要な発想なのであるということだ。
すると、よほど抽象度が高く、物事の判断を地球規模で考えられる人以外は
「自分やその周りの極少数の人物だけの利益を望むようになる」
このような人間にとっては、自分やごく身近な周囲の人物以外の利益は必要ない訳であるから、争ってでも奪ったり、そのためには手段を選ばなかったり、だましたりなんでもする。
最優先するのが利益である以上、それ以外は無駄なことなのだから。
実に効率的である!
一番重要なものだけを優先する。
実に合理的だ!
自分にとって無駄に思えることは排除するか後回し。
まさに合理的なのである!
ここで考える・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
何かがおかしいぞ。
逆にそういった合理主義者が、世界で多くの罪なき人々を大量虐殺するあの忌まわしき戦争を生み!
エコなどとキレイごとを並べては国民を洗脳し、さらに多くの余計な環境問題を引き起こしている!
これは紛れもない事実である!
とんでもない!
結局、合理主義とはその対象になっている人物・物事だけに都合が良いのであって、その対象からはずれた大多数のものにとっては
「非合理的」であり、「理不尽」なのである。
抽象度が低く、ものごとが具体的であればあるほどに、全体規模で考えると、非合理的になってしまうのである。
利益を上げることが合理的であるならば、その対極にあるものは非合理的であり
狭い範囲での効率化、合理主義を徹底することは、広い意味での非合理主義を推し進めているにすぎないのだ。
では、究極の合理主義とは何か?
この答えを次回のお楽しみにとっておきましょう笑。
(このやり方は非合理的。笑)
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